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平凡大学生だった19歳のpopが表舞台に立ちアイドルを始めた理由

どうもpopです。
今回は僕がなぜアイドルを始めたのか? 
そしてアイドルとして活動をしていたときはどんなアイドルだったのか?
これについて語っていこうかなと。
(身バレもあるので一部ぼかしながら書いていきます。)
僕は19歳から21歳の約2年間メンズアイドル活動をしていました。
きっかけを語ると幼少期まで遡ります。

僕は幼少期の頃から車がとても好きでした。

 

ミニカーを集めたり、車の展示会に行ったり、車の動画を見るほど車が好きだったんです。
好きな映画はもちろんワイルドスピードです笑。
ご存知の方も多いと思いますが知らない方のために軽く説明すると
イケイケな外国人たちがイケイケなスポーツカーに乗って
法定速度ガン無視でかっ飛ばすカーアクション映画です。
めちゃくちゃぶっ飛んでて男の夢をそのまま作ったような映画です
金!女!車!って感じ。
車がメインで強盗や敵キャラと戦う映画ですね。
ここに出てくる超高級車やかっこいいイケてるスポーツカーを見て
「絶対俺も将来乗って遊びまくってやる」
「横には美女を乗せて高い車乗るぞ」
YouTubeでは車の映像を見て四六時中こんなことを考えるように。
いつかは、こんな車に乗りたい。買いたいなと密かに思うようになりました。
「ランボルギーニ値段」
「フェラーリ値段」
こんな風に検索しては調べる毎日。
「3000万!?!?高すぎるやろ笑。。誰が買えるねんこんな車。」
欲しいという夢はありましたが当時は現実とかけ離れ過ぎて諦めきっていましたね。笑
「高級車を買うという」夢の為に何かやならければいけないと思っていたのですが
ビジネスを始める自分で稼ぐ手段を作るなど、なかなか具体的に実行することもできず
平凡な大学生活を送っていました。
アルバイトは週4回で大手チェーン店のお寿司屋さんで働いてました。
お客さんがタッチパネルで注文したサーモン、マグロなどを機械のように作る毎日です。
僕じゃなくても誰でもできる仕事です。
作業のようにただ同じことをひたすらするつまらん退屈な毎日。
バイトだけど
「こんなことに若い時間を使うのはもったいないな〜」と常にグチってました。
一日8時間働いても一万円ちょっとにしかなりません。
3000日働かないとランボルギーニやフェラーリは買うのは不可能です。
現実的にコツコツ働いていては絶対無理ですわと思ってました。
「バイトやサラリーマンでは無理すぎるやろ」と絶望。
「あ〜楽してモテたいし良い感じに稼げないかな〜」
こんな考えを持ちながらも何もせずダラダラとマッチングアプリを回し
休日は適当な女とセックスをするどこにでもいる大学生でした。
鳥貴族などの安い居酒屋でアポを組んで適当な会話をしてやすいラブホテルに泊まってセックス。
解散したら「今日はありがとうね!楽しかった!また会おう!」とだけ送り速攻ブロック。
長期化するほど可愛くないしリピートするにもびみょうな子を休日に抱くだけ。
女修行と言いつつこちらも作業のようなことをしていたんですよね。
ちなみにこの時期にはスト値上げやある程度のダイエットはしていたので
超非モテというわけではなかったです。
非モテデブからどのように変わっていったのか?という部分を知りたい方は
こちらを読んでくださいな。

(詳細は今回は割愛します)
女から中出しをお願いされる強いオスになるには?
↓↓↓
そんなこんなで新宿でtinderでマッチした女子大生と昼アポに向かうために
新宿東口の新宿アトレの前を歩いていると
小綺麗なお姉さんに後ろから肩を叩かれ声をかけられました。
「お兄さん突然すみません!芸能事務所とかに現在所属されてますか?もし良ければメンズアイドルグループを今立ち上げようと思ってまして興味ありませんかね。。?」
ん??芸能事務所のスカウト!?
詐欺か!?これは大丈夫なやつなのか?!
まあだけど俺もスカウトされちゃったよ♪
こんな感じで上機嫌になった。
超非モテ出身だったこともありめちゃくちゃ内心嬉しかったのを今でも覚えています笑。
そんな嬉しい気持ちを隠しながらも
「あ、はい。僕で良ければお話を聞いてみたいです。」
こんな流れで後日事務所で話を聞くことになりました。
めちゃくちゃ嬉しかった僕は家族、周りの友人、バイト先のメンバーに至るところで
「オレ新宿歩いてたら芸能事務所にスカウトされたぜ!すげえだろ!!」と言いふらしてました笑。
(今思えば路上スカウトなんて詐欺でもおかしくなかったのですが当時の僕は調子に乗っていました。)
そして事務所で話を進めることに。
声をかけてくれた女性、事務所の社長の3人でグループの説明をされました。
詳細はあれですが最初のグループは小さなグループでアイドルとはいえ
僕なんかがアイドル活動をできるのだろうか?、もし仮に入ってもすぐに辞めさせられるんじゃないか?と不安になりながら話を聞いていたのを今でも覚えています。
その当時の僕は自分に自信や勇気が全くありませんでした。
非モテ出身ですし女の子とそれなりに肉体関係を持つことはできていましたが
多数の女の子の前で笑顔で踊りアイドルになるのはやってみたさもありましたが恐怖心もありました。
そして僕の最大の難点は歌もダンスも未経験だったということ。
歌は全く得意ではなくカラオケでも点数は70点くらい。
下手なんだけど周りもバカにしづらい微妙なレベル。
カラオケにいたら一番いじりづらい微妙なやつ笑。
音感、リズム感も全く無かったのでダンスもリズムに合わせて踊る事ができない。
ルックスが大事とはいえダンスも歌も苦手となると自分の居場所はグループにあるのだろうか?
僕は何をやるにも長く続かずダメな人間でした。
小学校から高校までやっていたサッカーではずっと補欠。
試合に出るために走るトレーニングや筋力トレーニングやった方が良いと監督に言われてましたが
食べ過ぎでぶくぶく太っていた体では走るのもめんどくさくて長続きしない。
家に帰っては大好きな唐揚げとご飯をたらふく食べて三ツ矢サイダーで流し込みすぐに寝る。
もちろんぶくぶく太ります。
練習は適当にこなし土日にある試合では太り過ぎで当然試合に出れるわけがない。
出たとしても勝ってる試合でラスト10分くらい少し出れるくらいだった。
見にきてくれた両親には
「今日は相手が強かったから仕方ないんだよ!」
「今日は少し足が痛くて監督に少ししか出れないって言っていたんだ」
こんな誰が見てもウソとわかるような言い訳ばかりして
自分で努力することを全くしない
ダメダメなデブ陰キャ学生生活。
継続と努力が苦手なこんな自分でもダンスと歌は大丈夫なのだろうか?
途中で嫌になってレッスンやライブなど投げ出さないだろうか?
途中でやめたら他のメンバーに迷惑かからないだろうか?
こんな思いが頭を駆け巡る。
けど僕には幼少期からの諦めきれない夢が一つあった。
僕には高級車を買ってモテまくるという大きな夢。
有名になってテレビや雑誌にたくさん出ればお金が稼げるかもしれない。
自分が有名になったらsnsのフォロワーも増えるかもしれない。
画面の向こうで眺めるだけだった
女子アナ、モデル、グラドル、アイドル出会いセックスできるかもしれない
渋谷や新宿を歩いていたらファンに
「pop君ですよね!?写真撮ってください!」
こんな風に声をかけられるかもしれない。
今目の前にあるアイドルデビューのチャンスは
モテと金を得るめちゃくちゃ大きなチャンスであることは間違いなかったんです。
始めるきっかけは小学生みたいな男の夢を全て詰め込んだアホみたいな考えでした。笑
ですが、今となればその夢、目標が無ければアイドル活動をしていなかった。
始めるきっかけはかっこいい夢である必要ではなくて
自分の欲に忠実でもいい。
とりあえずやる事が大事なんです。
やっていく途中でその考えが変わっていくから、初めはどんなことでも良いから
きっかけを見つけるのが大事だなと痛感しました。
今から何か始めたい人はまず何かしらの目標を決めてやってみて欲しいしそれが1番大事だなと感じます。
後日、事務所にアイドル活動をやりたいと伝えました。
その後、事務所の関係者の方と喫茶店で1時間ほど話し、メンバーに入ることが決定。
後日、初めてメンバーの全員と顔合わせの機会がありました。メンバーの全員と会うので、すごく緊張もしていましたし、一番はメンバーと性格が合うのかな?とか不安なことばかりでした。
周りは経験者ばかりで自分が足を引っ張ったらどうしよう。
めちゃくちゃイケメンばかりで見劣りしたらどうしよう。
こんな不安ばかりでドキドキしながら顔合わせに向かいました。
実際に会ってみるとみんなルックスは整っていて
犬っぽい可愛い感じのイケメン
ワイルドで短髪が似合うイケメン
高身長色白細身のクールなイケメン
詳細は伏せますがメンバー様々な系統の男の子達がいました。
実際に会ってみると自分が最年少で、他のメンバー達は年上らしく丁寧に挨拶をしてくれて
「デビューまで大変だけどみんなで頑張っていこうね!」
こんな形で思ったよりも早く仲良くなっていくことに。
集合場所がダンススタジオで初めからダンスの基礎レッスンでした。
僕はもともと記憶力が悪く、勉強も暗記作業も人一倍やらないといけなかった。
英単語、歴史、漢字なども覚えが悪く赤点を連発するような男が
細かなダンスの振りを覚えるのはかなりハードでした。
ダンスの振りも全く覚えられず頭が真っ白の状態でダンスレッスンをしていました。
なぜ「自分だけできないんだ、早く時間が過ぎないかな」と思っていました。
デビューまでの約2ヶ月の期間が自分の中で一番辛かった。
両親からはアイドル活動を反対されながらも活動をし、ダンスや歌は全く覚えられず
深夜まで家の駐車場で一人練習をする毎日。
そこから朝早く一限の授業に向かい大学にも通い夜はダンスレッスンやボイストレーニング。
そしてその合間にはsnsを更新しファンと交流する。
19歳の冬が時間も体力を酷使し一番精神的、体力的にも辛かったのを今でも覚えている。
そんな毎日が辛すぎてデビュー前に1度、脱退を考えていました。
マネージャーにも辞めることを伝えていました。
脱退届も自分で作成し、後は事務所に渡すだけでした。ですが、あるメンバーから
「popが辞めるなら自分も辞める」と言われ、数日話した結果、続けることになりました。
そのメンバーの子が居なければ間違い無くアイドル活動を辞めていたと思います。
本当に彼には今でも感謝しています。
そんな辛い時期を超え、約2ヶ月の練習期間が終わりデビュー当日。
初めてのライブは約3000人ほど入るホールでのライブでした。
楽屋に着き、多くのグループの方がメイクをしたり、衣装に着替えていました。
5グループで1つの楽屋でした。デビューしたばかりの僕たちには荷物を置くスペースはありませんでした。
地面に荷物を置き、メイクは手持ち鏡で化粧をして衣装に着替え、ステージ裏にすぐ移動。
僕が想像をしていた楽屋とはほど遠いボロボロで人でぎゅうぎゅうな楽屋でした。
移動中にも他のグループの歌やファンの声援が聞こえ、この時点で会場の波に飲まれていて僕たちはかなり浮いていました。
ステージ裏には広い駐車場があり、そこでメンバー全員と振り確認や準備体操をし、本番に備えていました。
前のグループが終わりマイクを受け取った瞬間、今までに感じた事のない緊張感と手足の震えが止まらなかった。
時間になりステージに向かうと、観客席を見た時にたくさんのファンがいました。
無数に光るサイリウムがあり僕のカラーのサイリウムもあった。
音が流れ曲が始まったのですが、最前の2人ほどしか僕たちのライブを見ていなかった。
最初だから見てる人は少ないだろうと思っていたが予想より少なくとても悲しかった。
デビュー当時のライブ映像を持っているのですが一言で表すととても酷いライブだった。
よくステージに立ちライブができたなと今でも思います。
ライブが終了しマイクを置き、ステージ裏に戻りメンバー皆んなとハグをしたのを今でも覚えています。
こんな僕でもデビューができた嬉しさと、レッスンが大変だったけどデビューできた安心感で色んな感情が込み上げてきました。
あの時辞めずにアイドル活動をして本当に良かったと思えた瞬間でした。
その後特典会をやりました。特典会とはファンの方と2ショットでチェキを撮ることです。
僕たちにはファンの方がいなかったので1時間ほどチラシ配りをしました。
チラシを渡すにも緊張をしてなかなか一歩が踏み出せず渡すのにも苦労しました。
渡しても見向きもしてくれない方がほとんど。
どうしたらチラシを貰ってくれるのかな?と考えていました。
貰ってくれないのは全て自分に非があると思い、もじもじしていた行動を堂々と渡すようにしました。そしたら受け取ってくれる方が少しだけ増えた。
ですがチェキを一緒に撮るまでには至らなかったです。
会場を見渡すかぎり他のグループのファンの列があり、たくさんの方がチェキ撮影をしていました。
まず、今日は僕たちのことをたくさんの方に知ってもらう為にチラシ配りをしていたのですが、その会場の空気の圧にだんだんとやる気が落ちてしまいました。
今後、僕たちにファンが付くのか?大丈夫か?と不安になったりもした。
特典会が終わりその日のデビューライブが終了。
その後、デビュー前に練習をしていたダンススタジオに戻り反省会をしました。1人1人今日の感じたこととどこがいけなかったのか?などの話し合いをしました。反省点しかなく、良い点は1つも無かったです。
デビューライブを終えて一安心したのと、これからアイドル活動1本で食べていくのか?
就職をするのか?
色んな思いが込み上げてきたんですよね。
その当時は大学2年生で周りの子たちは就職をするのに自分だけ就職をしないで大丈夫なのか?と心配もありました。
ですが今となれば就職をしないでフリーの道を選んで良かった。
好きなことをしてお金を稼ぎモテを手に入れた今ではここが人生の分かれ目だったなーと感じてます。
グループの人気を出すために議論をすることに。
何故?他のグループの人たちより顔面偏差値が高くても、平均身長が高くても
ファンが僕たちに居ないのか?不思議な気持ちだった。
悩んだ結果、他のグループのライブを見て勉強をすることに。
そしたらファンサービスが本当に凄く、ファン方と目を合わせてる時間も長かったんですよね。
またファンの人を全力で楽しませていたわけです。
演者がファンの人に煽りを入れたりライブの間のmc でファンの方とコールアンドレスポンスしたり、ファンサービスをしていました。
ジャニーズとは違い演者とファンとの距離が異常に近いので目の前でそんなファンサービスをされたら女の子も落ちてしまうんだろうなと学びました。
それに対して僕たちは自分たちがが楽しんで、気持ち良くなっていたライブだったんです。
つまらないライブをしていたらファン同士でもあのグループはつまらないから見なくていいねとなります。
その逆で良いライブだったら自分の推しのグループがいてもスキマ時間を使って見に来ます。
ライブを見て自分たちも真似することにしました。
ここで僕はモテにも必須な相手からの見られ方を習得したわけです。
自分がイケてると思ってる振る舞いが女の子から見たらクッソダサいと思われたいたりしていた。
だから目線、話すトーン、間、姿勢、全てを学び直しました。
これが今のモテにつながっているんだろうなと感じています。
ライブとチラシ配りを頑張っているうちに徐々にお客さんも増えてきました。
初めて僕のメンバーカラーのペンライトが見えた時は本当に感動モノです。
キツかったけどレッスンをやってきてよかった。
今までの努力が実ったんだ。
学生からダラダラしていた僕が一つ結果を出せたのが嬉しかった。
それから3ヶ月が経った頃になんとテレビ出演が決まりました。
事務所のコネと権力と金って本当に強いんだなと思いました笑。
大きなメディアに出るには人脈、コネ、金、枕この4択です。
僕たちは人脈も金も枕もできないので社長のコネに頼りまくって番組出演を勝ち取りました笑。
ここら辺の知識があると芸能女子との共感にも使えますし
一般女子に格上感を演出できるので予備知識的に覚えておくことをオススメします。
では話を戻して。
その番組は毎回1人のゲストを呼んで話す番組だったので、僕たちグループ全員で主演で出ることに。
僕が小さい頃から見ていた番組だったので本当に嬉しかったですし、夢のようだった。
(番組名を言いたいんですけどさすがに危ないのでこれも対面で会った人にはこっそり伝えてます)
収録当日、集合場所から車でスタジオに向かいました。

道中からものすごく緊張をしていました。
ただの大学生がアイドルとして番組に出るなんて思ってもいなかった。
チャレンジしてみれば何が起こるかわからないなと思いましたね。
僕が今チャレンジし続けられる理由は間違いなくこの経験からきている。
僕たちは何者でもなれるしそのために努力もできる。
諦めてはいけないんだなと。
スタジオに着き、事務所の関係者の方と楽屋に向かいました。
楽屋に着き周りの楽屋を見渡せば多くの著名人の名前が書いてあった。
ああ、本当に凄いところに来ちゃったんだなと感じました。
メイクをする前にケータリングがを食べることに。
ただの大学生にここまでの対応をしてくれるのか。
5ヶ月前までマッチングアプリをして適当な女と
セックスしていた人間がここまできてしまった。
メニューが2つほどあり、僕は海老マヨ定食を食べた。
ご飯も白米、雑穀米なども選べて体に気をつかってる芸能人の方でも食べれるようになっている。
ご飯を食べ終わり、メイクルームに移動。
席に座り隣の席を見たらジャニーズの有名な方がメイクをしてもらいながら
ドラマの台本を読んでいる。
席が隣だったのでお疲れ様ですと丁寧に緊張で震えた声で挨拶をする。
そこで改めて僕はこれからテレビに出るんだなと改めて強く感じた。
すごく不思議な気持ちになった。
今までテレビで見ていた人が隣にいる。自分と同じ部屋にいるととても違和感を感じました。
自分はこの方達と同じテレビ番組にでるレベルになったんだ。
親、友人、周りの奴らは無理だと言ったが俺はここまで来た。
やってやったぜ。もっと上にいってやるからな。
緊張をしながらも野望に溢れていました。
その後衣装に着替えて待機室に移動をし、僕たちの前にも収録をしていたので待機室でその収録を見てどんな感じなのか見ていました。
また、台本もあったので台本も最終確認をしました。
吐き気が襲ってくるほど緊張をしていた。時間になり僕たちの収録が始まった。
座る席が決まっていたのでそこの席に座り、そしたら一人のメンバーの子が椅子の下にあった
お水を溢してしまうアクシデント。一回カットがかかり再度取り直しをしました。
改めてメンバー全員もすごい緊張をしているんだなと思いましたね。
開始30分がたった頃に自分の話す番がきました。
ですが緊張のせいか上手に話すことができなかった。司会者の方に話がまとまってないよと言われてしまいました。その後収録が無事終わりテレビのオンエアの日になりました。
僕の話は全てカットされていた。
テレビに出ている人は本当にすごい人なんだなと改めて感じました。上手に話すことができなければ全てカットをされ、上手に話すことができ、笑いをとれれば長く使われる。
当たり前のことですがこれが芸能界の世界。
弱肉強食です。
強い者が弱い者を食い淘汰していくんです。
我々オスは負けないために強くあり努力せねばならんのです。
失敗が許されないのがこの世界であって毎日テレビに出ている人はすごい努力をしている。
色んなことを体験してここまで生き残って来た人たちなんだなと思った。
ですがデビュー3ヶ月でテレビに出れたことは人生の中で一生の思い出、宝物になりました。
今でも本当に夢のようです。
その後テレビに出た影響か少しずつファンの方が増えてきて「テレビで見ました。」と言ってライブに来てくれるファンの方もいました。
順調に波に乗れていた頃にコロナという今までに無い病気が流行り始めました。
自分たちメンバーもコロナに感染し、活動休止になった。
約1ヶ月ほど活動休止になり
本当に悔しい気持ちと共にファンの方に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
自分はコロナの中でも重症の部類に入ってしまったので、病院で10日間入院生活をすることになった。今まで毎日ライブやレッスンの生活をしていたので急に毎日が暇で何もすることのない空白の時間に。
誰とも会話もできず外にも出れず、ストレスで肌荒れや体の湿疹も起きてしまいました。
人と話すこともできず外の空気も吸えないのはこんなに辛いことなんだと思いました。
その後無事退院ができ普段の生活に戻りましたが、味覚と嗅覚が2ヶ月ほど無く生活は大変だった。
ライブもスタートしたのけどコロナ前よりかはお客さんも減り思うようなライブができなかった。
コロナが収まることがなく、むしろ急加速し始めて外にも出れなくなりました。
二回目の活動休止になってしまったんですよね。ライブができなくなるのは本当に悲しかった。
その時僕は怖くなりました。このままずっとライブが出来ずファンの方が離れていってしまい
最悪の場合解散になってしまうんじゃないか?と思うようになった。
その後、事務所のスタッフさんと話し合いが決まり自宅で何かファンの方とできることはないか?と
話した結果、ファンの方にホワイトボードにメッセージを書いて写真を撮り、それをファンの方に送るというのをやり始めました。
また、並行して配信アプリで毎日、日替わりで配信もやっていました。
僕たちと会えないのにここまで応援してくれる方がいて本当に嬉しい気持ちと応援してくれる方たちの為にも、もっと頑張らなければと思いました。
snsの更新頻度を上げたり交流の機会を増やしもっと人気を増やそうと頑張り始めようとした
矢先にメンバーの一人の子が脱退することに。
人気も知名度も出てきたタイミングでの話だった。。。
今までデビュー前から一緒に頑張ってきたので悲しい気持ちと「なんでこのタイミングで?」という
怒りの気持ちと同時に「これからこのグループはどうなってしまうのか?」と思わされた。
突然の出来事で自分自身も心の整理ができなかった。
それから何か自分自身を変えたいと思うようになりました。
心機一転今まで黒髪だったのを金髪にすることに。
金髪にしたことで一気に垢抜けをしてファンの方からも好評で
今までで1番自分の中でしっくりくるものがきました。
これからはずっと金髪でアイドルをやっていくぞと思えた瞬間だった。
また、長髪で金髪はなかなかいないので長髪ハイトーン=僕と思ってもらえるように頑張ろうとも思えた。
それから数ヶ月が経ち初めての生誕祭(自分のバースデーイベント)を迎えることになりました。
僕の誕生日が12月でグループの1周年ライブも12月で同月ということで自分の生誕祭を忘れられないかな?と凄く心配だった。
また、生誕祭はソロで歌を披露するので本当に大丈夫かな?とも思った。
僕は本当に歌が苦手で一人でステージに立ち、一人で歌うことができるのか心配だったが、応援してくれているファンの方、生誕祭に関わってくれているファンの方の為に絶対成功させるしかなかった。
それから僕が当日披露する曲を毎日聴き、どこへ行くにもその曲を聴いていたのを今でも覚えている。
生誕祭当日。
前日は緊張のせいか全く寝れなかった。
いざステージに立ち曲が始まりメロディーが流れ、観客席に座っている人たちを見たら緊張と嬉しさで歌詞が飛びそうだった。
歌い出したらだんだんと慣れていき緊張も和らぎ、無事最後まで歌い切ることができた。
歌い終わると同時に大きな拍手が聞こえてきた。
その瞬間、「本当に頑張ってきて良かったな」と思えた。
そして一番頑張ってくれていたのは僕のことを応援してくれているファンの方に感謝しかなかった。
感謝でボロ泣きしそうだった。
周りに支えられてるなと強く感じた。
会場に飾り付けられた綺麗で大きな花や装飾品。
ファンが僕のために買ってくれたプレゼント
僕のために作られた生誕祭Tシャツ
こんな僕にはもったいないくらい盛大にお祝いをしてもらい本当に素敵な生誕祭だった。
ここまでは僕のアイドル人生のキラキラしたほんの一部分です。
ここから僕たちのグループは内部で揉めてメンバーが断裂して解散へと向かいます。
芸能界の汚い闇と金と権力によって僕たちは消されてしまうことになります。
とても悲しかった。
けどこれ以上書くとまとまりがなく長くなるのでまた別記事で書いていきますね。
非モテで女の子と関わることすらままならなかった僕が
数多くの女の子から愛されチヤホヤされ幸せにあふれた一部です。
周りの大人や友人は反対していたけどグループも有名になり
番組に出るまでに僕とグループは成長していった。
ウソのような綺麗なストーリーですがこれがリアルです。
自分の可能性を信じ少しのチャンスに全力で取り組む。
レッスンと学校の両立などしんどかった。
「ほらね笑。あいつアイドルデビューしたけどダメじゃん笑」
周りの奴らにこんなことを言わせないために
寝る時間を削り、自宅でも練習して常に取り組みました。
結果で黙らせる。
身内にsnsで匿名のアンチをされたり
ダンスもグループでも下手でなかなかままらなかった。
歌も人前で歌えるレベルではなかった。
ここに書けないような辛く苦しいこともあったが
人より量をこなし泥臭くやってきた結果地上波デビューするところまで来ました。
外見も
周りの男よりも女の子から注目される職業だから研究しまくった。
インスタとかsnsで映える服は?
彼氏感とかを演出しお客さんのメイン層であるジャニーズファンから好かれるようは外見は?
アイドルっぽい王子様のような振る舞いは?
女の子ってどんな姿を見せたらファンになってくれるの?
こんなことを四六時中考え常に取り組んでました。
自分が周りと服装やアイテムが被らないのも全てこの時の経験からです。
外見で飯を食う以上外見について詳しくならんとあかんわと気づいたわけですね。
そんなこんなでpopアカウントでは外見の指導や魅力的な見せ方も説明しています。
もっと詳しい話を聞きたい人は公式ラインで詳しく配信しているのでみてくださいな。
今後も発信していくのでよろしくです。
ではまた。